安全と危険 vs 安心と不安

安全と安心は、しばしば同じようなものと考えられることがあるが、以下のように考えている。
安全は、科学技術、社会技術の問題として論理的、客観的、数量的に評価される
一方、安心は、主観的に判断され、個人によって大きく異なる。人間の心に深く根ざしていると考えている。
 例えば、ある事柄Aの発生確率は100万分の1であり、事柄Bでは、発生確率は100分の1なので、Aが安全であると言うことが多い。
 しかし、航空機と自動車の事故発生確率を考えれば、航空機の方が遙かに安全であるが、航空機は危険だから乗らない人がいるが、自動車は危険だから乗らないという人は少ない。
 安全の反対は、危険、安心の反対は不安と言われ、安全は安全率と言われるが、安心は安心感で、この言葉をみても、安全・危険は技術的な言葉、安心・不安は人間の心を示しているのではないかと感じる。
 下図は、安全・危険と安心・不安(信頼・不信)をそれぞれ縦軸、横軸にしたものであるが、望ましいのは、「安全で安心」であり、「危険で不安」が望ましいが、安全なのに不安を感じたり、危険だけど安心と思うことが、日常生活では多い。
 安全であることを安心に繋げる、あるいは、、危険を不安と感じるような考えに至るにはどの様な方策を考える必要があるだろうか?

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安全と安心:危険と不安